那須高原にある物騒な名前の石「殺生石」を見てきました。
物騒なネーミングというだけで立ち寄ってみたのですが、日本転覆を企んだ九尾の狐、玉藻の前伝説と関係ある場所でした。そんな「殺生石」の紹介です。
訪れると無数のお地蔵様がお出迎え
冬の那須高原は少し景色が寂しい。しかし左側を見ると何やら変な光景が
なんとここにあるのは全てお地蔵様です。千体地蔵と呼ばれています。実際には千体はいないようですがそれでも凄い数です。全てが同じ方角を向いていて手を合わせている姿は圧巻です。
他には硫黄温泉 地帯ということもあって、湯の花を作る湯畑を再現した場所もあります。(現在は不使用)
千体地蔵を通り過ぎると殺生石を見ることができます。上の写真でしめ縄がまかれているのが殺生石です。
硫化水素ガスが発生する恐れがあるため近くには立ち入ることができません。
殺生石の由来とはなんなのか⁉
この看板に書いてあるわけですが読みにくいと思うので人気のFGOで説明しましょう!!
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FGOでわかる!殺生石
時は平安時代。宮仕えを玉藻の前はめちゃくちゃ美人で賢かった鳥羽上皇に寵愛される存在だった。だが、その真の姿は日本国を亡ぼす為に鳥羽上皇を殺っちまおうと画策する「白面金九尾の狐」が人間に化けていた姿だったのだ。
しかし陰陽師・安倍泰成が玉藻の前の正体を見破り、溢れる真言パワーで玉藻の前の変身を解く事に成功。白面金九尾の狐は宮中を脱し那須野まで逃走するが、そこでも人間に悪さを繰り返し最後には朝廷の命を受けた討伐隊に退治されることとなった。
白面金九尾の狐退治されたがその姿は石になり毒を放つようになった。近づく人間や動物を殺すこの石は「殺生石」と呼ばれるようになった。そこでとある和尚さんが殺生石にお経をあげ続けると殺生石は割れ、世界に飛び散ったのでした。その割れたうちの一つが那須にあるこの石ということでございます。
玉藻の前伝説も割と新しい話なので、この付近の濃い硫黄による事故がこのような伝説を作ったんじゃないかなと推測してみたり。
ちなみにFGO2部3章で始皇帝がコヤンスカヤに言っている「岩になるまで」と言っているのはこの殺生石の事を踏まえた話だったと思われます。
この場所は松尾芭蕉が奥の細道で訪れて一句詠んだことでも有名です。有名な詩人も同じ景色を見ていたと思うとなかなか趣深いものがあります。